”セラピー” ”癒し” 効果大のパン・菓子作り。その理由がわかったら、他に応用出来るのではないか。
月曜に始まった、ユダヤ教の新年。
去年は、ユダヤのパン、Challahを焼いて元旦那のお母さんのところへ持っていった。
私の住んでいる建物は、何やらガス関連の問題があるらしく、この夏3ヶ月、ガスが止められていた。
つまり、台所のガスコンロもオーブンも使えなかった。
先週、管理会社から連絡があり、向こう8ヶ月はガス無しが続くという。
ふざけんじゃねえ、の世界である。
電子コンロを買って、料理はできるものの、オーブンがないのは、かなり痛い。
何故なら、コロナをきっかけに始めたパン・菓子作りは、私にとって、超効果的な、癒し行為なのである。
困ったぞ。。。。
ちょっと心配、ちょっと悲しい。
そこでふと、何故、パン・菓子作りが癒しになるのか考えてみた。
触感をなめてはいけない。
滑らかな小麦粉を触る。ザラついたセモリナ粉を触る。
どろっとした卵白と卵黄を手で分ける。
パン生地の感触が自分の掌の下で変わっていくのを感じる。
パン・菓子作りで使う感覚と言うと、嗅覚や味覚と思われるかもしれないが、セラピーとしてのパン・菓子作りにおいて、触覚はかなり重要な気がする。
この過程において、手が感じる様々な感覚は、とても原始的で、だから余計に、脳にピクピクと勝手に刺激がいき、幸せ成分が脳から分泌されているのではないか。
これって、庭いじりや陶芸なんかにも共通するのではないか。
単純作業で頭が空っぽになる。
私は電気泡立て器だのブレンダーだの持っていないので、長時間やたらと混ぜるだけ的作業をすることが多い。
パン生地をこねるのも同様。
ものによっては20−30分間、こねるだけ。
ただ無心に一つの作業を続ける。
頭が真っ白になってくる。
自然とその行為だけに集中するようになる。
私の勝手な想像だけど、こんな時って、脳はひと休みリラックスタイムをエンジョイしていたりするのでは。
不安症で心配事やストレスが溜まっている人間にとって、これって、かなりの癒しだと思う。
ほれやってみろ、と言われてすぐできることじゃない。
以前、編み物が癒しになると聞いたことがある。
共通したところがあるのではないか?
ジョギングだって、ある意味単純作業だ。
超大昔、自分が10代の頃、朝走っていた時、”頭が空っぽになる”感覚が好きだった。
即、努力の結果が返ってくる。
一次発酵、二次発酵で膨らむ、パン生地。
オーブンの中で形や色を変えていく、クッキー。
まるで化学実験をしているような、まるで自分の子供の成長を見ているような、過程を楽しむ興奮感が、パン・菓子作りにはある。
そして何よりも、2−4時間で自分の努力の結果が出ること。
オーブンから漂う匂いは、幸せの匂いだ。
食べてみると、店で買うものとは比べられない新鮮さと美味しさ。
友達に分ける為に、丁寧にラッピングする。
渡すと彼らの笑顔。感想と一緒に写真も送られてくる。
この”努力が報われる確実さ”って、人間必要なのかもしれない。
私みたいな仕事だと、自分がどんなに頑張っても生徒の長い人生の上でどう影響があるのかなんて大抵わからない。
学校の方針だの、教育委員会が決めることだの、私の生活にかなり影響することなのに、私には決断力も何のパワーもない。
パン・菓子作りと正反対だ。
小さくても、自分の意志と努力のみで達成できること。結果が直ぐ出ること。
これって、癒しの理由の一つではないか。
掃除や洗濯も、実は私は結構好きだったりする。
同じ理論だろう。
今回あげた三つの理由。
これを応用して自分の為の癒しをもっと探してみたい。